1950-05-02 第7回国会 参議院 地方行政委員会 第45号
従いまして神奈川県議会におきましては、この問題で四月縣会を開きまして、その問題の討議をいたしまして、これが一応決まりませんで、継続審査をいたしたように聞いております。その後最近に至りまして特別委員会で満場一致で可決をいたしました。更に昨日でございますが、神奈川県の県議会の本会議では可決をいたしまして、逗子町分離の問題は一応本極りになつたように聞いております。
従いまして神奈川県議会におきましては、この問題で四月縣会を開きまして、その問題の討議をいたしまして、これが一応決まりませんで、継続審査をいたしたように聞いております。その後最近に至りまして特別委員会で満場一致で可決をいたしました。更に昨日でございますが、神奈川県の県議会の本会議では可決をいたしまして、逗子町分離の問題は一応本極りになつたように聞いております。
ところがその中の二百二十四條が、今寺光君の申しました通りに、外の選挙は縣会も、何も高等裁判所と全部なつておりますのに、参議院の小委員会で大野君の御意見で、参議院たけは東京の高等裁判所、こういうことにいろいろ議論がありまして最後に決まつた。それで参議院の小委員会の意見を措置をするという意味で、もう一度ここに上せまして再確認いたしたらどうかと思います。
岡田、鈴木の両委員は、福島縣廳、福島縣会議事堂、福島地方檢察廳等に赴き、又郡山市、平市、内郷町、湯本町等の各現地を視察し、各地において檢察側、警察側、地方自治体側、一般民間側その他関係者多数と面接し、左記資料の提出を受け、口頭による事情の説明を聽取し、又これらの人々との間に質疑應答を重ねて事態の闡明に努めた。」
家族の方々には死体の引渡ができん、こういう特殊な状況に置かれてしまつておるのでありますが、この間において縣当局がとりました災害救助法の処置が果して妥当であるかということが、私達としては一番問題にしておるのでありまして、先ず東京都の場合でありますと、すぐ十日の期限を更に延長の許可を受けて継続してやつておるという処置が講ぜられておりますが、鹿兒島縣の場合にはすでに数回に亘つて災害救助法を発動した関係上、縣会
併しながら縣会の議決はすでに経て建設省の告示を待つだけになつておつたのでありまして、若し認定道路になつておらないために道路法に基く道路災害復旧ができない場合には、國立公園のいわゆる公園道路として厚生省所管おいて道路の復旧整備を早急にやりたいと考えておるわけでございます。
併しながら今の二千六百年道路であります霧島、小林間の道路につきましては、幅員が四メートル以上ありまして、自動車はいわゆる車道でありますために、当然縣道として道路体系の一環として常に考慮さるべきものでありますので、縣会の議決を経て、縣から建設省の方に告示をしてくれという申請を出してあつたのであります。
証人は日鋼爭議事件が縣会に提案された状況を次のように証言いたしました。事件発生当時ちようど縣議会が開かれていましたので、縣会議員の山崎實氏が日鋼爭議問題を取り上げまして、郷土産業防衛のために本問題は縣議会の決議として取り上げるように動議として提出されたのであります。しかし賛成者わずか五、六名で否決された。
その次には縣会議事堂に参りまして、デモ状態を調べたのでありますが、これはわれわれ調べるときには、すでにその痕跡がございませんので、ただ大竹議長が本考査委員会で証言したことを考えて、なるほどあの辺に赤旗があつたのかなという程度の事実より、われわれとしては看取することができませんでした。
それから尚あそこの縣会議長さんにもお会いしまして話をしたのであります。その外当初に、一番当初でございます。農林省がまだ総合計画として取上げる前に十津川の分水問題というのが非常に和歌山縣を刺戟した際に、私と副知事で和歌山縣に参りまして、知事さん及び縣会議長さんに、これは吉野川から取るのじやない、十津川から取るのだという御了解と御説明を申上げまして、その直後に和歌山の議員の方が五名だつたと思います。
○岩崎正三郎君 ちよつと三重縣の方にお伺いしますが、三重縣では新日本化学ですか、あの案を御支持されているようですが、新潟縣のこれは只見川になつているのですけれども、野口案というものが新潟縣の案として縣会も支持しておるようでありますが、三重縣においては新日本化学の案というものを賛成せられるということは、これは三重縣の一部の人達が支持するのか、縣会が或いは政党というものがこれに賛成しているというのか、その
○証人(角永清君) 正式の縣会にかけたことはございませんが、実は運営委員会にかけて……実は知事が設立委員の一人になつておるのでありまして、その大体全員の賛成を得て設立委員会にかけるのであります。縣会の方もそういつたいきさつでございます。
それからそれを灌漑用水に使うと、下流に対する水の設定された権利が決まつておるものが相当ありますので、例えば一部分でもこれを新潟縣に流域変更して水を持つて行くというようなことに対しては、縣会なり、縣民なりは承知できないものと私は信じております。その点は縣としての態度として申上げていいのではないかと思います。
○岩崎正三郎君 福島と新潟両方の縣会の議員の方が会合されて、これが國家的に一番いいことに決まれば、そういうことにこだわらんという話があつたということを聞くのですが、それは早く國家的な立場から福島、新潟を含めて、勿論國家的な立場からいい案ができることが前提になれば、その問題に解消するわけですか。
開催日昭和二十四年六月二十五日、場所島根縣会議事堂、参加縣、島根、鳥取、山口の三縣、参加人員五十九人。 島根縣の意見大要を申し述べますと、一、定置漁業権の更新期を二十箇年にせよ。二、漁業権はすべて漁業法に織り込み、漁業協同組合優先に、河川漁業を共同漁業権に、漁業の調整費及び行政費は國庫負担に、漁業権の補償金は現金で支拂え、あるいは漁業権のあり方等について、強調したことは各縣と同じであります。
次に六月二十三日は鹿兒島市の鹿兒島縣会議事堂におきまして開催したのでありまするが、この調査先は、鹿兒島、熊本、宮崎の三縣でございました。当時御承知のように台風による風水害等の事故がございまして、出席委員はこの前より非常に少うございまして、私が一人でございました。
当班が担当いたしました調査区域、和歌山、奈良、三重、愛知、岐阜の五縣は、三重縣津市の縣会議事堂にて参加者九十六名をもつて現地側漁業者の意見を聞く懇談会をいたし、次に靜岡、神奈川、山梨の三縣は、靜岡市の縣正廳において参加者百十二名をもつて行い、次に東京、千葉、茨城、埼玉、群馬、栃木の六府縣は、千葉市の縣会議事堂で、参加者五十七名をもつて行い、福島、宮城、岩手の三縣は、宮城縣塩釜市の塩釜神社々務所において
事実教育委員会と府縣会乃至は府縣理事者とは非常な対立をしておるというところもある。ですから決して隣りの縣でやつたから我々もやらなければならんという、そういう圧力が加わるという考え方は私はしたくない。又そういうふうな考え方はすべてにとつて行くならば地方の自治などということは凡そ無意味になつてしまう、こう思うのであります。
又福島市におきましては、この六月三十日において平の事件発生と時を同じうして、そうして縣廳、或いは縣会議事堂を占拠して、いわゆる赤旗占拠事件となつて現われて來ているところのものであります。これを分けて見ますというと、市町村役場に対するところの鬪爭は内郷町と郡山市とに行われております。
しかし今の尋問の中ではつきり明らかになつたことは、縣会がよく知つているとおつしやるが、よく知つているかもしれない。しかし縣会が開かれたのは十五日だ。先ほどおつしやつたように、廣島市会及び呉市会が開かれたのは二十一日ないし二十二日のことである。ここに時間的なへだたりがある。從つて廣島縣の縣会だけがほんとうに正しいということは今になれば言い切れないのではないか。
○楠瀬證人 一番問題の眞相を知つているのは廣島縣会であつたろうと思う。大体廣島縣会の動向というものが、今の相当の扱いを示したものだと思う。それで廣島及び呉市会の行き方は、これはあたりまえのことを早く解決してやつてくれということを言つているわけであります。発議書まで出さなくとも、市町村会の議長が知事の方へ持つて來られて済む問題じやないかと思つております。
趣旨が同じで、六大都市の市会議員というものは、殆んどこの頃毎日続いて、縣会と両方兼ねれば、どつちか出ていないから実際は両方兼ねられないわけであります。東京など都会議員と國会議員と兼ねておりますが、これはやはりそういうふうにした方がいいと思います。
それから同じことですが、福島の問題というのは三十日に縣会に押しかけたということになるのでありますが、あなたが行つたのは四日だ。從つてあなたはここでも奇術師になれない。それから問題の平にあなたが行つたのは七月の六日であつた。從つて事件を去ること約一週間、ここでもあなたは奇術師になれない。また高萩の場合に問題が起つたのも七月六日でありますが、あなたが行つたのはそのあとの十何日かだつたと思うのです。
同時に福島縣会に赤旗を持つて來て、議場につるし、共産党員が二、三百名傍聽席に押しかけて、喧噪をきわめた。そのために遂に縣会も休議するのやむなき状態に至つた。これと同樣に地方議会に暴徒のごとき勢いをもつて押し寄せたという事実は、目下考査特別委員会においてその眞相を究明中であります。
それと三菱と四社の執行委員会、その他縣会、市会、あるいはその他の友誼團体にそれぞれ連絡をとつて、着々闘爭態勢を整えておつたもののようであります。
郡山から福島駅までは一緒に行つたそうですが、福島駅から降りた途端に、市長は労働組合の人たちと一緒に行かぬ、そう言つてかつてに縣会に行つてしまつたそうです。そういうようなことを聞いております。
○鍛冶委員長 この主食掛賣りというようなことは市会や縣会できまることじやないですからね。そんなことを言つたつてむちやな話だ、それを市長が聞くわけがないと思うのですが、それをどうしてそうなつたか、市長がいやでも一緒に行くということにきまつたのでしよう。
○竹内證人 私どもの参りましたときは縣会前の各派交渉会が始まる直前でありまして、陳情書を出して、大竹縣会議長と簡單に話を済ましてわれわれは帰つた。次の日の七月一日に、もう一度行つて縣会議長と副議長に会いまして、われわれの出した陳情書の趣旨をよく説明をしました。大竹議長並びに蓮沼副議長も共産党の言うことはもつともであるということを言われております。
○大竹證人 戰争以前は非常に福島縣は政治の熱心な地でありまして、福島縣会は傍聽者も非常に多かつたのであります。從いまして縣会の傍聽は、各議員の紹介を必要としておつたのであります。ところがその後戰争に相なりまして、また終戰とも相なりまして、そうした規則が行われないでおつたのであります。そのために今回のようなまことに遺憾なことがあつたので……。
○大竹證人 ちようど市会も同日開会に相なつておつたのでありますが、縣会の方へその大多数が参つたので、市会の方は多少は何かあつたようでありますが、縣会のようではなかつた。
○安西證人 米の掛賣闘爭というのは、ただいま申し上げたように内郷町の議会、郡山の議会、縣会等について具体的に申し上げましたが、その他にもいわゆる掛賣闘爭というのをやつておる、そういう方針のもとにやつておることは聞いておつたのであります。
しかし國鉄の福島支部は二十九日の指令二十七号を通して縣会に圧力を加えるというので福島に押しかけて行つておるのであります。先ほど証人からお述べになりました通り、檢察廳も訪問いたしております。その際に、後ほど縣会議長が証人としてお見えになりますから、お尋ねをいたしますが、縣会でもこれはもてあましてしまつた。
從つて郡山市長を帶同して、当日福島縣会が開催されることになつていたので、その方面に陳情をするという名義のもとに朝來たのであります。ところがその國鉄の一派には、國鉄の群衆と各労働組合の幹部並びにその組合員が合流して縣会に來たのであります。
さきに本委員会において調査することに決定いたしました平市をめぐる騒擾事件につきまして、來る七月二十九日平市警察署長木田正治、福島地方檢察廳檢事正安西光雄、平市公安委員矢吹六一郎、日本社会党常磐地区書記加藤木啓吉、福島縣会議長大竹作磨、日本共産党石城地区委員長鈴木光雄、朝鮮人連盟浜通支部長金逢琴、同じく地区執行委員金明福、矢郷炭鉱労組組合長松本佐吉、アカハタ記者清野常雄、八月一日、内郷町警察署長塩重藏
というのは地方議会と言いましても、たとえば縣会等はもちろんでありますが、市会等におきましても現今の議員の取扱いは、これが一つのビジネスと同時に、収入の点もなるべく一般官公吏のごとく一般標準のペースを支給せよということが目標になつておりまして、これが一つのもととなつて、町村の至るまで従前とは違いましてその会の議員はたいへんに手当の額が増加するとともに、やはり専門職業のごとく歳費のほかに今日は何の委員会